速読という魔法を、僕は信じていた ――そして、一度手放すまでの話

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速読という言葉に、強く惹かれていた時期がある。

当時、フォトリーディングと呼ばれる
「本を10倍速く読める」という技術が流行っていた。

フォトリーディングは講座や、自宅で学べる教材もあって、
「誰でもできる」「才能はいらない」と謳われていた。

正直に言うと、速読に対する
期待や希望はかなり大きかった。

僕は、勉強が得意なタイプじゃなかった。
「頭がいい人」に、どこか憧れがあった。

だからこそ、
本をたくさん読めるようになれば、

知識が増えて、頭が良くなれて、
世界の見え方が変わるんじゃないかと思った。

いいことづくめに見えた。

この頃の僕に、焦りがあったかと言われると、たぶんなかった。
切羽詰まっていたわけでもない。

ただ、純粋にワクワクしていた

本が速く読める。

難しいことが分かるようになる。
今まで届かなかった場所に手が伸びる。

今思えば少し恥ずかしいけれど、
当時の僕は、子どもみたいにそれを信じていた。

実際に、いろいろ試した

だから僕は、ちゃんと試した。
怪しいから距離を置いた、というわけじゃない。

「本当にできるなら、やってみたい」
その気持ちのまま、素直に触れてみた。

本を買った。
教材を買った。
紹介されていたトレーニングも、実際にやった。

視野を広げる練習。
文字を一気に捉える練習。
頭の中で音読しないようにする読み方。

「なるほど、こうやるのか」
「確かに、速く読めている“感じ”はする」

正直、最初は楽しかった。
ページをめくるスピードが上がる。

以前より短い時間で最後のページまで辿り着ける。
「今日は1冊読めた」という達成感もある。

でも、しばらくして、少しずつ引っかかり始めた。

読み終わった直後、
内容を説明しようとすると言葉に詰まる。

大筋は分かる。
雰囲気も覚えている。
でも、細部が抜け落ちている。

「何が書いてあったか」を、
ちゃんと自分の言葉で語れない。

速く読めているはずなのに、
頭の中に残っているものが思ったより少ない。

ここで、はっきりとした違和感が生まれた。

速読は「理解を生み出す技術」ではなかった

しばらく考えて、はっきり分かったことがある。

速読は、瞬時に理解したり、
記憶したりする技術ではない。

ここを勘違いすると、確実にガッカリする。

速読系の教材や講座では、

「一度読めば分かる」
「記憶に定着する」
「脳が処理してくれる」

そんなニュアンスが語られることが多い。
でも、現実は違う。

どれだけ速く文字を認識できても、

それを音に変換できても、
知らないことは理解できない。

文章を理解できるかどうかは、その人がすでに持っている

  1. 知識
  2. 経験
  3. 語彙
  4. 文脈理解

に大きく依存している。

つまり、

速く読めたからといって
理解度が100%になるわけじゃない。


1回読んだだけで理解と記憶が完成する
なんてことは、まず起きない。

読む速度が上がっても、
「知らないものが分かるようになる」わけじゃない。

速読でできるのは、
今の自分の理解力の範囲内で、処理を速くすることだけだ。

なぜ、疑わなかったのか

それでも、当時の僕は速読を疑わなかった。
なぜか。

今なら分かる。
それは「効率を信じていたから」だけじゃない。

もっと単純で、もっと人間的な理由だ。
信じたかったのだ。

魔法みたいなことが起きる世界を。

努力や才能とは別のところに、
まだ自分にも残されている可能性を。

ディズニーやハリーポッターの世界みたいに、
この現実にも「知られていない力」があるんじゃないか。

脳には限界がない。
トレーニングすれば能力は伸びる。

成長マインドセット。
この言葉は、最近読んだ本から学んだ。

人間にはまだ見ぬ秘められた可能性があるという考え方。
能力も脳力も練習すれば成長できる可能性がある。

そうした言葉を、当時の僕は知らなかったが・・・

人間の秘められた能力を伸ばすことに対して、
淡い夢と希望を持っていた。

もし本当にそれが可能なら、
自分も頭が良くなれるかもしれない。

勉強ができる側に回れるかもしれない。
人生が少しでも、今よりも楽になるかもしれない。

一発逆転という言葉に、
無意識にすがっていた部分も、正直あったと思う。

さらに、当時の空気感も大きかった。

偉い先生。
肩書きのある専門家。

「脳科学的に見て可能です」という説明。

それが、ちゃんとした書籍として出版されている。
加えて、そこにはたくさんの成功体験が並んでいた。

  • 速読を習って、本が早く読めるようになった。
  • 毎月10冊以上、本を読むようになった。
  • 成績が上がった。
  • 仕事で成果が出た。
  • 資格試験に合格できた。

そんな声を見せられて、
「自分にもできるかもしれない」と思うのは、

ごく自然なことだった。

当時は、今みたいに「検証」する文化も薄い。
AIもない。スマホもない。検索環境も弱い。

疑って確かめるより、まず信じるしかない時代だった。

だから僕は、速読という魔法を信じていた。

本が早く、たくさん読めるようになる世界を、
信じていたかったのだ。

そして、僕は一度、速読を手放した

いろいろ試して、実践して、
最終的に僕はひとつの結論に辿り着いた。

速読は、魔法ではなかった。

これは理屈で否定したというより、
やってみたからこそ「無理だな」と分かった感覚に近い。

他の人が語っているような、
瞬時に理解できるとか、

一度読んだだけで記憶できるとか、
そういう速読は、少なくとも僕にはできなかった。

できたとしても、それは見せかけに近いものだった。

潜在意識だとか無意識だとか、
確認できない領域の話はいったん置いておく。

現実的に言うなら、
速読の正体は「読み飛ばし」だ。

重要そうな箇所を探す。
自分の目的に合うページを拾う。
必要な部分だけをざっくり読む。

そういう意味での「速読」は、確かに使える。
でもそれは、厳密には速読術ではない。

後から気づいたけれど、

それは「本の読み方」であって、
読書術と呼ぶべきものだった。

ページをパラパラとめくり、瞬時に理解して、
記憶まで完璧にできる。

そんなことができるのは、今のところAIくらいだと思っている。
少なくとも、人間には不可能だ。

現実的に見れば、速読が向いているのは
ごく限られた場面だけだ。

概要を把握したいとき。
すでに読んだ文章を読み返すとき。
全体像をざっくり掴みたいとき。

未知の分野や、難しくて抽象度の高い文章、

本当に理解したい内容に対しては、
速読はほとんど意味を持たない。

そういう文章ほど、立ち止まり、考え、
時間をかける必要がある。

この結論に辿り着いてから、
僕は速読という考え方をいったんきっぱりと手放した。

「速読はいらない」
そんなことを本気で考えていた時期もある。

AIも出てきたし、

文章を読ませて要約してもらえば、
人間が読むより何百倍も早く概要が分かる。

それでいいじゃないか。
最近までは、そう思っていた。

――この本と出会うまでは。

AIがある時代に、それでも人間が読むのか?

正直に言えば、

「AIがあるなら、人間が速読する必要はない」
この意見は、今でもかなり正しいと思っている。

要点の抽出、概要把握、整理。
それだけなら、AIに任せた方が圧倒的に速い。

実際、僕自身もそうしている。

文章をそのままAIに渡して、要点をまとめてもらう。
この便利さを否定する気は一切ない。

ただ――
ここで、ひとつだけ引っかかる点がある。

それは、AIを「いつでも」
「自由に」使えるとは限らないという現実だ。


AIには使えない文章が、確実に存在する

たとえば、会社の機密文書。
外部に出せない資料。

あるいは、今回扱っているような「紙の本」。

こうしたものは、

  • データ化されていない
  • 簡単にコピーできない
  • 外部AIに渡せない

という制約がある。

もちろん、
時間と手間をかけてデータ化すれば、
AIに渡すことはできる。

その価値があるケースも多い。

でも、
毎回それができるとは限らない。

結局のところ、
「人間が読んで、理解して、要点を掴む」

この工程が、完全になくなる未来は、
少なくとも今はまだ来ていない。


人間が読む以上、「読む速度」は無視できない

そう考えると、
人間が文章を読み取る速度は、
今後もあらゆる場面で関係してくる。

本を読むときもそうだし、
資料を確認するときもそう。

AIに共有するにしても、
最初に読むのは人間という場面は、確実に残る。

つまり、

  • AIが使えるときはAIを使う
  • 使えないときは、人間が読む

この二択ではなく、
両方を前提にした世界に、すでに僕たちは生きている。


だからこそ、「現実的な速読」には意味が残る

ここで重要なのは、
魔法のような速読を信じることではない。

瞬時に理解して、完璧に記憶する。
そんな話は、今でもあり得ないと思っている。

でも、

  • 脳内の音声化の速度
  • 読むことへの慣れ
  • 情報処理の前提スピード

こうした部分を鍛えること自体は、
決して無意味ではない。

著者が言う「前提速度」という考え方は、
この点で、かなり現実的だ。

速く読めるかどうかは、

前提速度 × 読み方 × 知識量・語彙量 × 集中力

この掛け算で決まる。

前提速度だけを上げてもダメだし、
他の要素を無視していいわけでもない。

それでも、前提速度が変われば、
読書体験そのものが変わる可能性はある。

※ここで書いている「前提速度」や考え方については、
著者である川岸宏司さんご本人がnoteでも詳しく解説しています。

理論面に興味がある方は、こちらも参考になると思います。
→ 川岸宏司さんによる「速読の公式」についてのnote記事はこちら


僕はもう一度、試してみることにした

だから僕は、
「速読不要論」をいったん脇に置いて、
もう一度だけ試してみることにした。

やるのは、魔法探しじゃない。

  • 耳を鍛える
  • 音声化の速度に慣れる
  • 読書の体感がどう変わるかを見る

ただそれだけだ。

うまくいくかは分からない。
変化がない可能性もある。

でも、その結果も含めて、
記録する価値はあると思っている。

ここから先は、
理論ではなく、実践ログになる。


※この記事で書いた内容をもとに、
速聴トレーニングを使った実践も行っています。

DAY1〜DAY10までの記録は、
以下の記事にまとめました。

→「【実践ログ①】速聴DAY1–10|2倍速は聴けた。でも理解・記憶は別だった」

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