日付:2026/02/2(月)
時間:PM3:30
場所:自宅
※この実践ログについての前提・ルールはこちら
→ 静かな学びの書架|賢者病|DAY|シリーズについて
今日やったこと
- 予備日(自由記入)
今日やらなかったこと
- 自由、無制限
気づき・メモ
ここに来て、まさかの自由に書く。
2日間休みからの、書き始め。
2日間「自由」に書くこと。
割と「自由」に書いて良い、何でもOK
こう言われると、何を書いていいか迷う。
実のところ、選択肢が多すぎると、
人は迷って、悩んで困る(゚o゚;;
こんな所でも賢者病の本編に書かれている
情報飽和の罠に遭遇するとは・・・
選択肢が多すぎることは、幸せそうに見えて、
実のところ、たくさんの中から選んで「決める」
というストレスが発生する。
自由という言葉は、昔から幅広い選択肢を
選択できるから好きだ。
制限がない世界で生きることができる
自由に空を飛んでいる鳥のように羽ばたいていける。
僕にとっては自由という言葉は
希望の象徴のように思っていた。
でも、実際のところ、自由というものには
決断の責任も伴ってくるし、選択肢を自分で探してきて、
選ばなければならないという側面もある。
何書いてもいいですよ。
そう言われたら、自分で各テーマを用意してきて。
その中から、自分に合ったテーマを取捨選択する。
場合によっては、
- 調べる
- 考える
- 勉強する
- 実践する
インプット、アウトプットの
手間暇がかかる…こともある。
アウトプットの手段もたくさんあるので、
SNS、note、ブログ、Youtube…etc
情報発信だけをピックアップしても、
世の中には、数えきれないぐらい方法が存在する。
その中から、自分に合ったものを、
選んで最適な方法を決める。
さらに、その書いたもの、発信したものに関する
責任も自分に返ってくる。
こう考えると、
自由という言葉には、表側からは見えないだけで、
「大変さ」「労力」みたいなものが隠されている。
ゲームの隠しステータスみたいに。
表示されてないけど、裏側では管理されてるコストがある。
こんな仮説を立ててみた。
不自由な状態=制限された方がコストが低い?
これまでは、何も考えずに
無条件で自由に書けた方が楽しいに決まってる。
そう思っていたけれど、実際に書いてみると、
条件があった方が、選択する負担を軽くできる。
- 〇〇というテーマで書く
- 今日やることは〇〇
- 今日やらないことは〇〇
ある程度の制限が設けられていた方が、
賢者病の人には、効果がありそうな気がする。
自由に、好きなようにという言葉とは裏腹に。
返って無制限の方が考えるコストが増えていく。
そんなことを本日のテーマから思いました。
と言うことで、本日のDAY38は、自由に書く。
“自由の中には不自由さもあったという仮説を立てた日”として、ここで終わりにする。
以上。
